『毎日新聞』の記者だった著者は、1972年に沖縄の施政権が「返還」された際に、佐藤政権とアメリカ政府との間でどのような交渉が行われていたのかを追っていた。
佐藤政権は、「沖縄返還」という功を挙げるため、アメリカ側と、虚々実々の交渉にあたっていた。
アメリカ側の基本スタンスは、明確だった。
一つは、沖縄諸島内のアメリカ軍基地を、占領時代と何ら変わりなく「自由使用」するということであり、もう一つは、施政権「返還」に伴って必要となる経費のすべて(あるいは必要となる以上)を「日本」政府に負担させるというということだった。
主権国家である以上、領土内に他国の軍隊が常駐し、主権の及ばない広大な区域が存在するのは、異常である。
占領に伴って、暴力的に奪われた軍用地は、占領状態の解消とともに全面的に返還されるのが当然だし、沖縄民衆の多くは、それを当然のことと考えていただろう。
しかし、佐藤政権の考えていたことは、「施政権返還」の名目さえ立つなら、実質的には、アメリカ側の要請に従って、全面的占領状態を継続することでしかなかった。
佐藤氏自身は、形骸的返還より全面返還をよしと考えていたかもしれないが、アメリカ側がそれを受け入れようとしない以上、形骸的返還やむなしと考え、国民と県民にその矛盾をどう取り繕うかが、政権の課題となったのである。
もう一つは、諸経費の問題である。
国家である以上、使途不明金や他国の利益のための支出が存在してはならないはずだ。
しかしアメリカは、沖縄の「返還」に際し、「日本」政府からタカリ行為にも似た、不当な金銭要求を行った。
この金銭は、「日本」の国会において承認されるはずのない、支出根拠の薄弱な金銭だった。
そして、アメリカ側は、この金銭負担を、「施政権」返還の条件としてきたのであり、佐藤政権はやはり、これを受け入れるしかなかったのである。
佐藤政権による交渉内容は、沖縄と「日本」国民の利益を著しく毀損するものだったから、政権はそれが国民・沖縄民に知れるのを警戒し、極秘のうちに交渉を進めていた。
その一部をすっぱ抜いたのが、著者だったのである。
何故それが秘密だったのかと言えば、政権が国民・沖縄民に不利益をもたらそうとしていた事実を隠蔽したかったからであり、国民・沖縄民の利益を他国に売るという自らの失政を隠蔽したかったからでしかない。
国民が主権者であるということは、国民には、自らの利害に関する事項すべてにコミットする権利があるということである。
国家秘密などと大層らしいことを言っても、それはしょせん、国民にバレてはまずい、政治家の裏事情でしかなかったのであり、その構造は今も変わっていない。
国家の秘密を漏らしたり探ったりするものを処罰するという法律が作られた。
この法律には、国民にとっての重大事を「秘密」に指定し、結果的に国民の利益を著しく損なう行為を犯罪として処罰する規定がない。
それでは、なんの意味もないのである。
国家秘密とはいえ、政治に関わる秘密である限り、国民にはそれにコミットする権利がある。それを犯罪視するとは、おかしな話である。
それより、秘密にすべきでない事項を秘密と指定した政治家・官僚の罪を問わねばならない。
この法に触れた者の最高刑が懲役10年なら、国民に知らせるべき事実を隠蔽する犯罪に対しては、極刑以外にはありえないのではないか。