文化文政期・天保期の歴史の中に一茶を位置づけようとした書。
一茶の身の下まで詳細に明らかにした研究も、存在するようだ。
そんな中で、本書は、一茶の人生を追いつつ、一茶が時代をどのように受け止めたかを明らかにしようとしている。
国学への関心・ロシアの接近に伴う素朴なナショナリズム意識、それと関わって蝦夷地への関心などは、ことさら一茶でなくても、信州の在の普通の知識人のごく一般的な意識だっただろう。
俳諧は、あるときはコトバを究極にまで研ぎすましてシンボライズし、一幅の情景を描き出す芸術であるし、あるときは仲間と洒脱の限りを尽くしてコトバの世界に遊ぶ場の芸術でもあった。
本書に紹介されている一茶の句から、江戸時代の支配的思想による歪みをあまり受けていない彼の精神がうかがえる。
その個性に、私は、近代のきらめきを感じる。
本書を通読して、非常に引っかかりを覚えるのは、著者が相変わらず、江戸時代は小農経営が人として基本形であり、農業(その実態が何かについて著者は語っていない)こそが被支配者のあるべき生業だと考えておられるらしき点である。
そのように考えている限り、宿場町やその周辺の生活実態についての関心が出てこないのではないかと思われる。