岩手県北上山地の安家地区における、江戸時代後半から現代に至るまでの、産業構造を明らかにした書。
対象地区は『むらの生活誌』に近接する。
分析にあたっては、「民俗生態史」という方法をとられている。
北上山地は古い山だから、特に尾根付近は比較的なだらかな傾斜を持ち、牛の放牧に適している。
一方、谷はそれなりに深いから、安家地区に関して言えば、集落周辺の平坦地は狭く、農業による自己完結的な経営は、いずれの時代にあっても、不可能だっただろう。
さらに、ほど近い太平洋から吹き込むヤマセが豊凶を決定づけるという点も、この地域の特徴だと思われる。
どの地域にあっても、人が生きるには、まずは食べるものを確保し、必要物を入手しなければならない。
人が主として食べるのは穀物である。
かつての安家では、大麦・小麦・稗が該当したが、それらだけで一年間の需要をまかなうのは困難であり、たびたび訪れる凶作時には、なおさら食が不足した。
不足分は、山の木の実などによって賄われた。
コメや雑穀を食わずにクリやドングリを食うことが、異常で悲惨で憐れむべき事態だと考えることが、じつは偏見なのである。
クリもドングリも拾えない都会で、食うものがなくなったら、それこそオシマイであって、食べ物を拾うことができる山村は恵まれていたという見方だって成り立つはずである。
同じ北上山地の食を紹介した『新版 縄文人の末裔たち』にも、ミズナラが準主食として用いられたことが記されている。
北上では、牛との暮らしが近年まで続いている。
牛がいることが、現金を得るだけでなく、堆肥、ひいては食を確保する上でも好都合だったからである。
尾根に平坦地ほとんどない当地では難しいが、これも、合理的な暮らし方だった。
いずれの山村においても通用しそうなのは、経営の多角化が、危険の分散化に直結するというという法則である。
モノカルチャー的経営は、一つの危険要素によって壊滅的な打撃を被るが、少量多品種栽培であれば、すべてがダメになる危険性は少ない。
カネをとるための「農業」は単品を大量栽培したほうが合理的だが、人が食を得て生きていくための「農」では、少量多品種栽培のほうが合理的なのである。
カネをとるための「農業」が存在することは否定しないが、どこかの国に「勝つための農業」とか、「攻めの農業」とかいう話になると、じつにウソっぽいではないか。