記紀神話を分析することによって、古代ヤマト政権の性格を考察した書。
神話を単なる「物語」と片づけるのではなく、その内的構造を読みとることにより、歴史の真実に迫ることができることが記されており、「目からウロコ」と感じる部分が少なくなかった。
前方後円墳時代前半の日本列島は首長連合状態だったのだが、東アジアでは、北方遊牧民が南下して漢民族の国を瓦解させ、朝鮮半島北部の大国高句麗は、北方系文化と漢民族文化の両方にアクセスできる位置にあった。
倭と高句麗は対立関係にあったが、この時代に何らかの形で北方遊牧民系の文化が列島に流入した。
このとき列島に入ってきたのが、天孫降臨神話だと、著者は主張される。
天孫降臨神話は、北方遊牧民系文化の特徴でもあるという。
この説は、ある時期から古墳の副葬品に、馬具や武器などが出現するのとも、照応する。
記紀神話の原型(日本書紀はいくつかの説を列挙する形で展開する)をさぐってみると、天孫降臨神話による皇祖は、「タカミムスヒ」という神であって「アマテラス」ではない。
それでは、「アマテラス」とは何ものなのか。
「アマテラス」が、本来皇祖神とされていた「タカミムスヒ」に取って代わったのはなぜか。
「タカミムスヒ」は外来神であり、「アマテラス」は在来の太陽神であろうと、著者は言われる。
天孫降臨神話以前の列島は、八百万(ヤオヨロズ)の神々が人々の周囲を司る多神教の世界であり、各地方独自の神も存在した。
太陽神である「アマテラス」は、伊勢の地方神でもあったが、神々の中でも重要な存在であり、人々の尊崇を受けていたはずである。
首長連合から集権国家へと倭を変貌させたのは、天智・天武の兄弟だったが、皇祖を「タカミムスヒ」から「アマテラス」へと交替させたのは、記紀編さん事業のトップだった天武だろうと、著者は言われる。
「アマテラス」が皇祖神となったのは、外来神である「タカミムスヒ」とは異なって、豪族や庶民から広く尊崇されていたからであり、集権体制の確立には、その方が好都合だったからである。
記紀神話を、このように読むことができるとは、じつに興味深かった。