天皇の代でいう、推古から文武にかけての、飛鳥一帯に権力が存在した時代の通史。
『ヤマト王権』同様に、文献古代史の危うさを随所に感じながら読んだ。
飛鳥に権力が所在したのは、記紀の編纂が開始された時代である。
それ以前と比較すれば、記紀の記述の信頼性が高いのは事実だ。
しかし記紀の叙述は、本書に記されているように、記紀は権力を正当化することを目的に編集された物語だということを前提に、読まなければならない。
それ以上に考えるべきことは、たとえ記紀の記述が正しかったとしても、それは、畿内のごく一部の地域を舞台に生起した「コップの中の嵐」に過ぎないという点である。
著者は、弥勒寺官衙遺跡から出土した木簡の記述から、ヤマト政権の支配が東国・南東北へ及んでいたと書かれている。
それが史料的に貴重なものであることは理解できるが、その木簡から解釈できる史実をどこまで一般化できるのだろうか。
これらの叙述が有効な範囲がどこまでかを限定して、記述すべきではないか。
コップの中の歴史は決して、列島の歴史ではない。
例えば、この時期の土器について、「七世紀の土器は現在、飛鳥1-飛鳥5の五時期に区分されている」というような一節がある。
この区分は、北東北・南東北を含む当時の日本列島全体に敷衍できるのだろうか。
より正確に表現するならば、「大和を中心とする一帯における七世紀の土器は現在、飛鳥1-飛鳥5の五時期に区分されている」ではないのだろうか。
古代史の叙述を読んでいると、これは著者の妄想ではなかろうかという疑念をしばしばもつ。
一つのことを断定する上での、根拠が少なすぎるのである。
記紀の語る歴史が存在した根拠がもっと豊富に示されなければ、人の理性は、「このような史料が示されてはいるが、実際のところそれはまだよくわかっていない」と結論づけるべきである。
それでは何も言えないではないかという意見もあろう。
なら、「この史料によれば」と限定的に歴史を語ればよいのである。
理性によって記述されない歴史に意味がないとは言わないが、それなら「これは物語だ」と正直に言った上で歴史を語るべきだ。
本書は、「藤原宮遷宮から五年あまり、宮内のここかしこで建設工事が続けられている。(略)この百年、本当にさまざまなことが生起した飛鳥の都は遠く、丘陵にさえぎられてあまりよく見えない。ただ明日香風だけが往時のまま、いたずらに吹き過ぎていた」と結ばれている。
物語のエンディングにふさわしい、文学的な結びである。
しかしこれでは、歴史とはいえない。