古琉球という国家のアウトラインを素描した書。
国家や民族の概念の修正さえ、迫ってくる。
琉球に成立した地域連合らしき三つの国(三山)が14世紀に明に冊封されてから、国家としての琉球の歴史は記録される。
琉球最大の港湾菜葉を擁する中山が沖縄島を統一したのち、琉球は、東アジアと東南アジアを結ぶ海洋貿易国家として転形されていった。
東アジア・東南アジアは明を頂点とする秩序のもとに編制されていた。
夷国の品物は明へ向かって流れ、明の品物が周縁へもたらされた。
琉球は、東アジア・東南アジアの物流センター的な位置にあった。
円滑な物流を担保する上で、関係国とうまくつき合うことや地域の平穏は、不可欠だった。
中世の国際関係を律する秩序は、現代よりはるかに複雑だったが、琉球は、名より実を取る戦略で一貫していたようだ。
複雑怪奇な華夷秩序をうまく泳ぐ柔軟さが、琉球の繁栄を支えていた。
海洋王国としての琉球を変質させたのは、島津による占領だったが、大きな歴史の流れから見れば、日本の戦国時代という一種の小帝国主義状況が背景にあったのであり、それはさらに、ヨーロッパ諸国が武力によって世界を蚕食する激動の時代状況の一環だった。
交易によって利を稼ぐという生き方は、戦争とも、グローバリズムとも共存できない。
山と海に囲まれた列島のあるべき生き方は、そのあたりにあるのかもしれない。