まとまったテーマで書かれたわけでない小文集なので、著者は「竈の灰の燃え残り」と述べられているが、部分部分に考えるヒントが詰まっている。
日本列島の一点に「日本」という原初的国家が成立したのは、おおむね、7世紀末ではないかと言われている。
それ以前にもちろん、「日本」はなく、「日本人」は存在しない。
「日本」が成立したのは大和盆地の一角だったから、「日本」と名乗り始めた国家に属する以外の列島の民は当初、「日本人」ではなかったが、服従後、「日本」の秩序に従い、「日本」の支配者に貢納を余儀なくされた。
とはいえ、例えば関東に成立していた地域諸政権が「日本」と結んだ支配関係は、強弱の差はありながらも、絶対的なものではなく、中央集権的な「日本」国家といえる状態ではなかった。
まして、東北地方以北は、個々の住民レベルで「日本」成立のはるか以前から交易関係をつくってきたが、政治的支配・従属関係は、東国政権(鎌倉幕府)による平泉政権打倒まで、拒否し続けられた。
また南西諸島には、琉球王国が成立し、島津侵入以前までは自律的な独立国家であり続けた。
この間「日本」自体も、公家政権と武家政権の並立・内乱期があり、権力が四分五裂した南北朝時代と呼ばれる時代や、統一権力を完全に喪失した戦国時代があって、統一国家としての「日本」など、ほとんど存在しなかったと言ってよい。
さらに、存在した国家領域に暮らす住民が、国家に所属するというアイデンティティを有していたわけでもなく、海という自由空間を通じて、ものとともに自在に往来していた。
囲い込まれた「日本」など、カケラも存在しないのである。
列島の民にとって、愛惜すべきは、列島の諸環境・列島に暮らす人々・人々の持つ知恵と技術以外に、なにもないのである。