大峰山脈は、修験道の聖地である。
修験道の理論はおおむね、密教に依存しており、密教の諸仏が修験の神々である。
大峰山脈が修験道の聖地だというのは、紀伊半島の屋根ともいうべき峻険な山脈全体が、両界曼荼羅に比定され、個々の峰々が諸仏に比定されていたからである。
大峰山脈に曼荼羅を感得したのは、白鳳時代の行者・禅洞だという。
そうすると禅洞は、役行者よりかなり前の人物になるのだが、彼が実在したという根拠は残っていない。
禅洞が、感得した諸仏をどのように記録したのかは不明で、天平17年(745)に、興福寺の僧・仁宗が、禅堂の見た曼荼羅を記録した史料が残っているのみである。
禅洞・仁宗の時代に曼荼羅は存在しないので、これらはすべて後の時代の創作ということになるが、ともあれ誰かが大峰山脈を、空海が唐から持ち帰った曼荼羅に比定したのである。
仁宗が記録したとされるものが、大峰修験草創期の行場だったことは確かだろうが、そこに記された120箇所の「宿(行場)」がどの峰・どの地点を指すのかは、わかっていない。
奥駈道が大勢の山伏によって歩かれた時代には、「靡(なびき)」と呼ばれる75の行場が存在した。現在の修行者もここで勤行する。
どの「宿」とどの「靡」が相応するのかを、主として文献によって考証したのが、本書である。
行者たちにとって、峰々を仏と感じて勤行しつつ巡る修行(抖そう)は、無宗教の自分から見ても、おおいに法悦を得られただろうと想像できる。
岩に仏を感じ、大木にも仏を感じ、感謝する。
このような実践によって、人間に、何も得られないわけがない。