大飯三・四号機に続いて、他の原発も、再稼働に向けて動き始めた。
この流れを作ったのが、民主党・野田政権と自民党・安倍政権だったことを記憶しておこう。
そして、こうした流れを合理化する装置として動いたのが、原子力規制委員会である。
全てをパーにする原発というシステムだが、それに執着する頭のよくない人々がいる。
人間も、懲りなければわからない生き物なのだが、頭がよくないというのは、懲りてもわからない人々だからである。
我が亡き後に洪水は来たれ、は資本家の本性だとマルクスは述べたのだが、洪水が自分が死んだ後に来るかどうかだってわかりゃしないのに、金儲けにふけろうというのだから、バカとしか言いようがない。
彼らはそれなりに必死である。
「専門家」たちは、フクイチ事故の際、それまで適当なことを言って事故を招いた責任をごまかすことに成功した。
それは、彼らにお墨付きを与えた政府と、個人責任を否定した裁判所の責任である。
「専門家」たちは再び、新たな安全「神話」を語り始めている。
東京電力は、フクイチ事故の責任をまったくとっていないのだが、政府・司法・マスコミは、彼らの免罪は当然であるかのような雰囲気作りをはかっている。
壊した他人のものはもとに戻し、汚したものはきれいにしなければならない。
ばら撒いた放射能は全部、東電が引き取らねばならない。
当たり前ではないか。
政治家は、「原子力ムラ」の一角にすぎないのだが、東電や関電の株主でありながら、東電の免罪や東電への国費投入に走り回る輩がぞろぞろ存在する。
谷垣禎一・石破茂などという幹部を含め、自民党・民主党は、電力会社にどっぷり使った連中ばかりだ。
原発中毒になった自治体に、いくら金をばらまいても、電力料金という形で回収できるというシステムは、まともな市場経済ではありえない。
緊急出版的な本なのだろうが、編集者のコメントも著者のプロフィールもないのは、内容はあるのだが、作り方としていい加減な印象の本だった。