普天間飛行場の海上移転を巡るいきさつと諸問題についてまとめた書。
普天間飛行場の移転に本腰を入れて取り組んだのは、橋本龍太郎内閣だった。
本書を読むと、橋本首相は、当時、沖縄県知事だった著者と直接の電話で連絡を取り合い、飛行場の返還に向けて精力的に動いたことがうかがえる。
しかし橋本氏が、普天間移転先を多角的に検討していたかどうかは、わからない。
橋本氏と大田氏のやりとりから推察すれば、辺野古沿岸ありきだった可能性が高いような気がする。
普天間が動き始めたのが1996年、1997年には地元名護市の住民投票で海上基地反対の意思が示されたが、名護市長は「海上基地受け入れ」を表明した。
大田氏は、海上基地を拒否したが、名護市の次期市長は、海上基地への賛否を明らかにせず当選したのち、大田氏の後任の県知事とともに、受け入れを表明した。
本書に綴られているのはほぼ、そこまでである。
大田氏は、普天間の移転先はハワイかグァムが適当だと述べているが、政府がこれらを移転先候補として検討した形跡はなく、この問題は、2000年以降も、県民の意思と政府の思惑とがしのぎを削る状態のまま、政権交代を迎えることになる。
大田氏は、県民の価値観が「命どぅ宝」から「銭どぅ宝」へと変質しつつあるのではないかと憂いておられる。
「日本」人の大多数はすでに、そうなっている。
米軍兵士による犯罪や飛行機墜落が起きても、「食っていかねばならぬ」の名の下に、公共事業が待ち望まれている。
また大田氏は、多少逡巡されながらも、「負担の公平化」のため「本土移転」にも言及されている。
現実問題としてそれは、当然の意見だと思う。
しかし、問題をよそに移すことで、問題が解決するわけではない。
本書には、海上基地建設をめぐる「本土」と沖縄の建設会社の蠢動についても書かれている。
問題の核心はおそらく、ここである。