わずか100余年前に解体された琉球王国は、500年以上の歴史を有する海洋国家だったが、「日本」の起こした戦争の際、天皇が支配する体制を数十日間延命させるために、10万人以上の民衆の生命とともに、史料のほぼすべてを灰燼に帰す被害を被った。
在地史料がないため、琉球史像を構成するには、中国や「日本」の史料に大きく依存せざるを得ないらしい。
そんな制約のもとで書かれた、主として古琉球時代(薩摩来寇以前)の王国の姿を素描した本。
琉球は強国ではなかったが、明との册封関係を基軸として、東アジア全域における海洋物流活動を担い、栄華を極めていた。
琉球にとって、国家の存立を担保するのは、軍事力ではなく、外交力だった。
16世紀末から17世当初にかけての幕藩制国家揺籃期の「日本」は、武力による領土獲得が争われたミニ帝国主義時代であり、ここでは、武力がすべてを決する力だった。
武力は外交力にまさったから、薩摩の琉球占領は不可避だったとはいえ、このような国家が存在したのは稀有なことである。
それが現在の「日本」の領域に存在したことは、国家のあり方を考える上でじつに示唆的である。