使用済み核燃料をどう処分するかという問題に対する、「日本」の方針は、「再処理」だった。
「再処理」とは、使用済み核燃料から化学的にプルトニウムを分離する作業であり、これによって、プルトニウムを核燃料として再使用することが、理論的には可能となる。
再処理技術を持たない「日本」は長らく、イギリス・フランスにそれを委託してきたのだが、自前の再処理工場を稼働させることは、国家的課題とされてきたのだった。
プルトニウムを核燃料として使用するには、安定的に稼働する高速増殖炉を完成させなければならないのだが、それは技術的に困難で、「日本」以外の「核先進国」はすべて。その開発から撤退した。
曲がりなりにも、その課題に取り組もうとしているのは「日本」だけだが、この先、「核後進国」がそれにチャレンジする可能性もある。
しかしおそらく、「日本」の原子力技術者たちも、高速増殖炉の実現性に疑問を持っているはずだし、完成する見込みのないシステムに莫大な公費を投入することの正当性を説明するのは、不可能だろう。
じつは発電以外にも、プルトニウムの利用方法はある。
それは、核兵器である。
核兵器の製造・使用・輸出には、国内の反発が予想されるが、核兵器に転用可能な技術や物質については、気がつかないか、容認する人々も多いだろう。
プルトニウムが「商売になる」とすれば、大きなビジネスになる。
「日本」は今、原発輸出国の道を歩もうとして、首相を先頭にして、世界に販促活動を行っている。
「日本」の原発は、技術的に完成されたものではない(技術的に完成された原発などどこにも存在しない)から、事故を起こす可能性もある。
そこらへんは「自己責任でよろしく」ということなのだろう。
売った原発からも、使用済み核燃料が出る。
ここに、イギリス・フランスが現在行っているような「再処理ビジネス」が発生する可能性がある。
一部の人々にとって、原発は、有力なビジネスになりうるのである。
原発メーカーや電力会社の幹部社員や技術者たち・「専門家」らは、原発のメンテナンスなど、放射能を直接浴びなければならない作業を担当するわけではない。
それを行うのは、何重にも給与をピンハネされる下請け労働者で、利益を得るのは、株主である。
上で言う、一部の人々とは、原発ビジネスに群がる、これらの特権層である。
原発ビジネスが成立する前提となるのが、使用済み核燃料の再処理技術なのであり、そのために作られたのが、六ヶ所村の再処理工場なのである。
本書は、再処理工場とはどういうもので、六ヶ所村再処理工場がどのようなリスクを持っているかを、わかりやすく解説している。
技術面からは、小出裕章氏が説明されているのだが、本書を一読して衝撃的なのは、変動地形学者である渡辺満久氏の論考である。
渡辺氏によると、原発が立地する地点の地質調査・審査において、電力会社は活断層の存在を隠そうとしたり、核断層の規模を小さく見せるレポートを提出し、経産省の官僚や「専門家」は、甘い審査によってそれを追認してきたという。
調査結果に手心を加えたり、甘い審査でそれを認めることができても、活断層による大地震発生を止めることはできない。
経産省の官僚や「専門家」は、「自分が生きている間に活断層が動くことはないだろう」と考えているのだろう。
一度、事故が起きれば、列島の東半分は、人間の居住さえ不可能な「死の地帯」と化すというのに。