阿部謹也『逆光の中の中世』

 社会の発展法則なるものが、マルクスらの言うような形で存在するかどうかは疑わしいが、古代・中世と呼ばれる社会が、文明国家に共通して存在するのは、間違いなさそうだ。

 日本の歴史を教えることは、日本社会の発展史を教えることでないとは思えないので、それを40から50時間程度でまとめようとすると、中世の重要性はきわめて低くなる。
 言い訳になるが、そんな理由でかつては(たぶん今でも)、鎌倉時代・室町時代を軽視していた。

 中世にももちろん、「発展」があるのだが、生産力が飛躍的に伸びて、近代社会を準備した江戸時代と比較すれば、鎌倉時代・室町時代は停滞した時代だった印象がある。

 だが今は、歴史にとって、「発展」に意味があり、「停滞」は無意味であるようにとらえることが偏見だと考えている。

 イタリアでは、「伝統とは成功した革命である」と言われているらしい。
 社会にとってより重要なのは、変わることより持続することだろう。

 生活や社会を変えることにもエネルギーを要するが、生活と共同体を維持する営為にも、並々ならぬ知恵とエネルギーを必要とする。
 社会が変化しないのは、その社会を維持しようとする営為がうまく機能しているということである。

 本書にとりあげられている断片的な史実は、中世ヨーロッパのものだが、その意味するところを理解するのは、簡単ではない。
 中世に限らず、歴史を読み解くのにもっとも必要なのは、偏見を捨てることである。

(ISBN4-88888-103-0 C0022 P1628E 1986,3 日本エディタースクール出版部 1991,11,11 読了 2013,7,16 再読)