薗田稔『神道の世界』

 神道とはどのような信仰かについての概説書。

 修験道と同様に、神道には教義体系が存在しない。

 それがゆえに、宗教として未成熟だとかいう評価は、あたらない。

 体系化された理論こそが高等だというのは、単なる西洋信仰にすぎない。

 宗教の意義は、世界と人間について、どれほど深く考えられているかにあると思っている。

 列島の民は、縄文時代以前に渡来した原「日本」人と弥生時代以降に渡来した稲作民が習合して形成されたと思われる。
 原「日本」人と稲作民とが争闘したのは、『古事記』の記載を見れば明らかだが、どちらかが相手を絶滅させるとか、屈服させて奴隷化するというほど激烈でなく、『古事記』をみても最終的にはどちらが勝利したということもなく習合していったような気がする。

 ただ全体的な傾向としては、原「日本」人は、従来同様、山岳地帯に居住して、主として雑穀や芋類を食して暮らし、稲作民は湿地のある平野部に居住して、コメを主食とした。
 両者の中間にあたる緩傾斜な里山地域には、両者の中間的な人びとが棚田を築いた。
 近代以前の列島民の生活パターンとして、以上のようなことを想定している。

 南インドの泥濘地帯原産のイネという植物は、泥田の中でしか生育しない宿命を持ったから、水田地帯であろうと棚田であろうと、稲作に従事する人びとにとって、死命を決するのは、水であった。
 地殻変動の力で形成された列島はどこも、急峻な山岳を背後に持つ。

 とともに、この列島は黒潮暖流に広く囲まれ、季節風の影響を受けて周年、潤沢な降雨に恵まれる。
 雨水は、山岳地帯を重厚に覆う森林によって受け止められ、土壌をゆっくり通って、川となって流下する。

 水をもたらしてくれる川、川に水を流してくれる山、山に水を涵養してくれる森を、稲作民が、自分たちの命を担保してくれる存在と感じたのは当然だし、それは事実だった。
 「川」「山」「森」が、セットとして稲作民の崇拝の対象となったのは自然だったし、また、正しいことでもあった。

 「川」「山」「森」は、山岳地帯民にとっても、生活の場・食糧を得る場だったから、「川」「山」「森」を神聖視する山岳信仰は、列島すべての民の共通理解となった。
 修験道・仏教・神道は複雑に習合したが、そのいずれもが、山岳信仰を基底に持っていた。

 以上のようなことを考えてきたのだが、本書には、これらの点がわかりやすく説かれている。
 列島民の心のありようについて、あまり手がかりもなしに一人でいろいろ考えてきたのだが、著者によれば、それらはすべて、神道の教義に含まれるようである。

 神道に疑念を生じせしめるのは、国家神道的な側面である。
 特定のシンボルへの拝跪を強要し、従わぬものを排除するのが国家神道だったと理解している。

 天皇制への嫌悪感が、ヒューマニティと相容れぬ制度である近代天皇制に起因することは明らかだ。
 近代天皇制のもつ非人間性を明らかにすることは十分に必要だが、天皇制のもつ文化性についても、理性的な腑分けが必要なように思う。

 著者は、天皇制や靖国祭祀について、合理的な説明を試みられている。
 自分には、説得力が十分とは思えないが、考えるヒントが得られる論点ばかりである。
 これを手がかりに、もっと考えてみたい。

(ISBN4-335-10071-X C1314 \800E 1997,4 弘文堂 2013,6,12 読了)