津島家とは、津軽・金木の大地主で、太宰治や何人もの代議士を生んだ津島家である。
歴代当主の周辺が丹念に取材されており、このドラマチックな一族が、よく理解できる。
太宰の作品を理解する上で、参考になるのはもちろんである。
津島家が金木の大地主に成長したのは、太宰の曾祖父惣助の代であり、それまでは、ごくありふれた小商人地主に過ぎなかった。
津島家が津軽有数の大地主にのし上がったのは、金融業を通じてだった。
太宰の作品から読みとれる「罪」の意識を、金貸しによって蓄財した生家と重ね合わせる見解は、的外れではない。
惣助は、政治の世界に、本格的に入り込んだわけではなかった。
津島家は、太宰を生んだ家というより、源右衛門・文治・田沢吉郎・津島雄二と四人もの代議士を出した、政治家一族なのである。
本書は、津島家の人びととその周辺を描いているのだが、圧巻なのは、太宰の兄・文治の生きざまだろう。
文治は、のちに「斜陽館」となる大邸宅と莫大な財産、政治家としての地盤・看板を父から受け継ぎ、農地改革によって土地・財産のほとんどを失いながら、代議士・青森県知事としての人生を全うした。
自由民主党に所属する保守政治家だったから、選挙にはずいぶん、カネを使ったはずだ。
なぜそこまでして、政治の舞台に立ち続けようとするのか、とても理解しがたいものがあるのだが、おそらくそれが「津島家」当主の生きざまだったのだろう。
「津島家の代議士たち」は、津軽の未来に何を残しただろうか。
津軽はいま、原発から出たゴミの捨て場となりつつある。
そうした現状を、津軽の人びとは、どのように見ているのだろうか。