佐賀県の海沿いで水稲・みかんなどを作っている農業者によるエッセイ。
天候や鳥獣の害はあきらめざるを得ないが、自動車産業や政治屋かウマイ汁を吸うことの代償に、農業がつぶされるというのは、あまりに理不尽である。
この列島で、「農」を主たる生業にして暮らすということは、確かに、珍しいことではなかった。
しかし、いかにも官僚が好みそうな用語である「専業農家」に該当するような「農家」など、決して多くなかったはずだ。
「農」とは、食べ物を得る行為であり、カネを得る行為とは、次元が異なる。
いずれも生きる上で必要な行為ではあるが。
人の文化の出発点は、食べ物を作ることだった。
打製石器の時代から分業は存在したが、食べ物を作らない単位家族はなかっただろう。
暮らしの実相がかなり明らかになるのは江戸時代以後である。
幕府が、水稲を中心とする「農」を、支配の手がかりとしたのは事実だが、民衆は「農業」を専一とする「農民」であったわけではなかった。
この時代(それ以前もそうだが)の民衆を表現する最も適切な用語は、幕府がそのように呼び、民衆自らもそう呼んでいた「百姓」である。
「百姓」とはまさに、ありとあらゆる雑多な生業を有する人々である。
「百姓」は、食べ物を作った。
それは領主の期待するところでもあったが、彼らが「農」に従事したのは、人間である以上、生きていくために食べ物を作らねばならないからだった。
注意すべきは、だからといって、江戸時代の「百姓」が「自給自足」だったわけではないということだ。
近代化にともなって、社会的分業が進んだ。
日本列島は、「農」とその他の生業を併用する、本来の「百姓」が、遅くまで残存した。
それは、列島の「農」が小規模・労働力集約型という特徴を持っていたからだろう。
この特徴は、「日本」社会の特徴というより、造山運動によって形成され、暖流の流れの中に存在するという、列島の自然環境によって、そのように運命づけられたといえる。
工業製品は、売ることを目的に作られるものだから、競争経済によって品質が向上し、価格が落ち着く。
しかし食べ物は、食べて生きることを目的に作られるものである。
安心できないものは食不適だから、無価値である。
都会民は、価値と無価値を見分ける能力を失っている。
言っちゃ悪いが、バカなのである。
そんな都会民をスタンダードにして、「食」の未来を決定するなど、まさに集団自殺と同じ愚行である。