教育現場から教育学が存在しなくなって久しい。
大学の教職課程には、教育とは何かを学ぶ「教育原理」や子どもの発達の論理を学ぶ「教育心理」という科目があって、そこで基本的なことを学んだ。
実際の教育現場が理論通りにいかない部分があるのはやむを得ないにしても、教育学が全く通用しない時代が来るとは、思っていなかった。
数字的な達成度で教育の成果を測るとか、号令一下で全員を従わせるとかは、教育というより調教といったほうが適切である。
それが行政の長から「教育の目標」として示され、教師はその実現のために働くとなると、大学で学んだ教育学は全く無意味で、教師は魂の技師でなく単なる調教師だということになる。
だとすれば、そんなつまらない仕事はない。
しかし、日々の仕事に流されていると教育学を忘れることもある。
本来であれば、現場で忙しくしている教師が教育学を忘れないように、管理職や行政が注意を喚起するべきなのだろうが、実際にはその正反対なのだから、今の教師は大変だ。
教師は、教育原理や教育心理を忘れたら、おしまいだ。
本書は、「国歌斉唱義務不存在確認訴訟」と俗に呼ばれている訴訟における、著者の証言をまとめたブックレットだが、人というものに対するどこまでも深い洞察に満ちている。
教師の仕事はどこまでも深く、やりがいのある仕事だというまっとうな教育学に触れることができて、生き返る思いだった。