福島第一原発の現場幹部と筆者+週刊朝日取材スタッフのタッグによって書かれた事故の顛末記。
この事故については、原因も現状も、まだほとんどわかっていないと誰もが感じているはずだ。
にもかかわらず、福井県大飯原発では安全宣言が出され、再稼働された。
関西電力ではさっそく、他の原発も再稼働したいと言い始めている。
それがどこに行く道なのか何もわかっていないのに、誰もがわかったような気になって、後戻りのできない道を歩こうとしている。
無責任の極みである。
2012年夏現在、『産経』あたりが中心になって、菅直人前首相への誹謗キャンペーンが続いている。
菅氏が集中攻撃されている理由が、彼が「脱原発」を主張し始めたからであることは明らかだ。
菅氏の感覚は、至極マトモである。
彼は、すべてがパーになる事態は避けねばならないと言っているだけである。
経済「成長」が大事か、この列島に永遠に住み続けることができることが大事かという問いの答えは、決まりきっているではないか。
東電と原子力ムラは、権力と権威とカネを総動員して、この単純な問題をわかりにくくさせて、国民を騙そうとしているのである。
本書で、事故の実態を矮小化して責任を免れようとする政府(官邸)と東電本社に対し、第一原発の現場は強い憤りを持っていると描かれている。
安全神話に寄りかかって監督を怠ってきた政府にも重大な責任があるが、事故を起こしたのは東京電力である。
本書を読むと、現場が生命をかけて必死で事故に対応してきたのは確かだ。
しかし東電上層部は、最初から最後まで、責任逃れと現場任せ・他人任せに徹していた。
地震も津波も、予測不可能だったわけでは全くない。
政府・東電に対し、警告は何度も行われていた。
しかし、東電はそれを「想定不要」とし、政府や官僚も東電の認識を追認したのである。
もちろん、地震や津波を起こしたのは東電ではない。
しかしあえて警告を黙殺したのは、どんなに甘く見ても、「過失」にほかならない。
だから、これは東電と原子力ムラによる犯罪なのである。
彼らの犯罪を詳細に明らかにし、責任を取らせなければならない。
東京電力は、犯罪企業である。
証拠隠しを許してはならない。
原発の現場では今も、決死の活動が続けられている。
最も危険な場所で生命を削っているのは、主に東電の下請け会社の人々である。
原発をすべて廃止すれば、このような事故を繰り返さないことは、可能なのである。
蓄積された放射性物質の捨場はまだ、見つかっていないから、全く安全な状態とは言えないものの、日本列島における人の暮らしは持続できる。
電気など、使い放題に使わなくても、人間らしい暮らしは可能である。
政治家・官僚諸君は、どういう暮らしが人間らしいかということについて、頭をフラットにして、ちょっと考えてみればどうか。