民俗学や歴史学で、サンカを正面から取り上げた研究をあまり見ない。
自分自身、サンカと呼ばれる人々が存在したらしいことを知ってはいたが、書店に並んでいる関連書籍をパラパラ見ても、どれだけ確実な研究なのか怪しい印象があって、読んでみようという気にならないでいた。
本書は、サンカ学の泰斗と目されている三角寛によって描き出されたサンカ像の虚飾を否定し、その実像に迫ろうとした書である。
著者の目的は、三角がいかにホラ吹きかを論証することではなく、サンカの実像を明らかにすることである。
三角が出会った元サンカたちからはもちろん、それ以外の元サンカたちからも取材しているが、著者は安易な論断を避け、一つの仮説を述べるにも、慎重に表現している。
著者によればサンカとは、竹細工・棕櫚細工などを生業とした漂泊民だが、箕作り・箕直しに従事することが多かったらしい。
地方によってはもちろん、「サンカ」以外の名で呼ばれることもあった。
彼らは、独特の両刃小刀を駆使して生業にあたっており、職業柄独特の用語や言い回しを弄することはあったが、三角の言う「サンカ文字」などは存在しなかった。
この列島には、ブリキやブラスチックの箕が普及する前、戦後のある時期まで、このような漂泊民が存在した。
彼らの多くは「無籍」だったというが、それは国家に所属しないことを意味し、国家にまつわる権利や義務から無縁だったことを意味する。
戸籍を持つ一般民がサンカの集団に投じることも、サンカが戸籍を取得して定住生活に入ることもありえたから、この列島には、国家の枠から出入りする人々が存在できたということになる。
漂泊民といえば、木地師を連想するが、木地師はおそらく「無籍」ではない。
飯野頼治氏の『秩父の木地師たち』には、木地師の子どもたちが深山から通学していたという事実が紹介されている。
三角は、「武州秩父河原沢川流域」に「セブリ」(サンカが暮らすテント状の小屋掛け)が存在したなどと述べているらしい。
そこは今まさに自分が暮らしているところなのだが、それ自体虚言だったことは、本書で論証されている。
サンカたちが暮らしていたのは、本書を読む限り、秩父のような山地ではなく、より平野に近い丘陵地帯の川べりだったようだ。
記録を残さない人々の暮らしを明らかにするのは困難だが、それも列島の民の歴史であり、無視してはならない。
サンカは被差別民でもあったのだが、箕作り・箕直しがどうして賎業視されたのかも、釈然としない。