律令国家の地方支配の拠点であった国衙・郡衙がどのように役割を果たしていたのかを論じた書。
律令国家において制度的には、戸籍や徴税など、支配に関わる具体的な実務を担当したのが郡衙であり、郡衙の支配を監督したのが国衙だという位置づけになっており、それが100パーセント機能すれば、中央集権的な支配が実現していたということになる。
しかし、律や令は、中国の同様の条文を参照して中央官僚が作文したにすぎないから、それがまともに機能している考えるほうがおかしいという程度のものであるが、その実態については、ほとんどわからないようだ。
郡司はもともと、ヤマト国家によって国造と呼ばれた地域の豪族である。
任期はなく終身職ということから、ヤマト国家による支配が事実上、間接支配と言えるものだったことが想像でき、さらに終身職でありながら豪族たちによる交替もしばしば行われているということから、ことによると郡の支配は地域小権力といえるほどに独自性を持つものだったこともありえそうだ。
著者は、律令の条文を、事実そのとおりに行われたものと読んでおられる傾向がある。
従って、国衙や郡衙は儀式会場として機能していたという評価や、文書支配の貫徹といった評価が出てくるのだが、それが列島各地でどれほど機能していたかについては、留保して考えたほうがよいと思う。