平安時代の地方行政のトップに位置づけられていた受領の実態を解説した書。
受領とは、任地へ実際に赴任した国司のトップである。
奈良時代前後に成立したいわゆる律令国家が、近代国家のような中央集権を実現していたかのように、教科書に記されている。
それらに描かれているような政治の実態が全く存在しなかったとは思わないが、畿内以外において、律なり令による支配が貫徹していたはずがない。
受領が登場するのは、平安時代だが、その実態を見れば、「律令国家」が一畿内政権にすぎないことが理解できる。
律令政治(というものが存在したとすれば)の基本をなす「口分田」の制度が骨抜きになったのは、早くも奈良時代の八世紀半ばである。
本書によれば、九世紀には、調・庸の規定通りの納入が行われなくなり、班田が最後に行われたのは902年だという。
10世紀初頭に律令国家は、その制度的実態を喪失し、畿内権力者による私的支配に任される状態になっていたと理解できる。
受領はこの時期に、畿内権力者による私的支配の末端を担うべき存在として登場するのである。
個別の命令が出されてはいるが、依拠すべき法によらない支配なのだから、受領による支配が恣意的だったのも、当然である。
本書は、受領とは官職というより、一種の利権とみなされていたとも指摘している。
尾張国郡司百姓等解文で糾弾された藤原元命が、ことさら不法な人物だったという評価は、あたらない。
受領であるかぎり、好むと好まざるとにかかわらず、畿内政権との関係は、維持された。
一方、任地で土着することによって、現地の地域武士団との関係を深めた人々は、畿内とのパイプを適宜利用しつつ、武士団を束ねる立場に立つ人々もいた。
彼らはやがて、畿内政権とは無縁に地域を支配する独自の小権力を構築し始める。
平安時代の「国家」の実態とは、そのようなものだったのである。