「教員赤化事件」で教壇を追われたのち、東京で社会教育に関する仕事をされたという著者の小説集。
折り目正しく誠実に自己を見つめた、小説らしい小説で、たいへん読み応えがあった。
ある種の小説は、現実と人間をめぐる世界をどこまでも深く追究し、描きあげるという営為である。
いかにリアルに人間を描くかというのは、この国における文学の、一つの有力な流れだった。
折目正しいというのは、すでに物故者となった著者のこれらの作品は、日本文学におけるそうした流れをしっかりと継承していると感じられるからである。
六編の作品のうち三編は、教育や「赤化事件」をテーマにしている。
本のタイトルになっている「絵の記憶」は、新任教師が、発達障害を抱えた受け持ち児童のために、悩みつつさまざまな試行錯誤を繰り返すという内容である。
近年の教育現場は、殺伐たるものになりつつある。
教師の仕事を数値的に評価し、評価に応じて給料を振り分けるとか、全員の数パーセントに最低評価を義務化し、免職処分をちらつかせるなどという話が伝わってくる。
命令と服従の関係が教育現場を律するすべてだという政治家の発言も伝わってくる。
それほどヒドくはないが、「問題児」への眼差しが、近年、かつてほど温かくなくなってきているという感じがする。
先生になるのは大変な難関らしいから、若い先生の多くは優秀な人々である。
だが、「できない子」や「問題児」の気持ちによりそってあげることができるのは、先生でしかない。
教育の現場とは、目の前の子どもたちとどう向き合うかが、すべてなのである。
まったく同じ子どもは二人と存在しないのだから、目の前の子どもにどう向き合えばよいかという問題に関するマニュアルなど、存在しない。
この小説に出てくるような先生はかつてどこの学校にもいたし、多くはそんな先生だったような気がする。
問題児が夢にまで出てくるような状態で、ひたすら指導法に思い悩む先生の姿が、非常に新鮮に見えたのは、やはり今の現実に問題があるからなのかもしれない。