樺戸集治監の成立から廃止までを描いたドラマである。
作者が吉村昭氏なので、作品は、よほど綿密な取材に裏打ちされているだろう。
小説ではあるが、樺戸集治監の歴史を知る上でもっともわかりやすい本といえる。
戊辰戦争終了後、北海道島は、「日本」によって正式に領土化された。
江戸時代以来、北海道島に在住する「日本」人は存在した。
「日本」と「日本」以外との窓口として、松前藩という行政機関も存在したが、松前藩は北海道島全島を所領としていたわけではなく、先住民であるアイヌと「日本」との窓口として、北九州における対馬に相当する存在だった。
北海道島は概ね、原生林におおわれており、アイヌは国家を必要とせず、多少の農耕・交易・自然物の採取によって暮らしていた。
アイヌの暮らしは、ほとんど環境に依存していたから、彼らにとって、環境にしっかり感謝することが人として最も大切なことと考えられた。
しかし「日本」はそのような価値観を持たなかった。
弱肉強食の時代状況の中で、小帝国化への道を模索していた「日本」は、北海道島の「開発」を急いだ。
神と人の住む島をカネを生む島に作り変えるには、原生林を退治し、都市・耕地・道路・鉄道を作っていくことが必要だった。
それも、コストをかけずに。
なおかつ、それは大至急行われなければならなかった。
明治政府は、賃金不要で、常人には耐え難いほどの重労働を強いるのに、囚人を使役すればよいと考えた。
囚人を使ってインフラ整備することについて、理論的に説明したのは、金子堅太郎だった。
彼は、囚人労働がコストパフォーマンスにすぐれていると主張し、かつ、そこで死者が続出したとしても、それはむしろ、国費の節約になると言い切った。
樺戸・空知・釧路に置かれた集治監の基本思想は、金子の考えを基本としていた。
そこでどのようなドラマが起きたかは、本書を読まれたい。
北海道の集治監には、秩父事件・加波山事件・上毛自由党など自由民権運動の関係者も送られた。
中には北海道で獄死した人もいる。
彼らの無念さを思うと、言葉がない。
秩父事件参加者の一人である宮川寅五郎の名前が「寅五郎」だったり「寅次郎」だったりするのはちょっと、いただけない。