田中角栄の評伝。新書版ながら400ページ近い大著である。
多くの文献を渉猟されており、田中政治について、鋭い分析がされている。
後半は、田中が首相になり、金脈を暴かれて退陣し、ロッキード疑獄で逮捕されてなお復権を図る時代の分析に費やされており、とても興味深いが、自分の関心はそれ以前の部分にある。
高度成長期以降の「日本」は、民衆の実利・欲望を原動力として動いてきたのであり、田中は、そのような「日本」社会を忠実に反映した政治家だった、と著者は考えていると思われる。
田中は、カネを使って権力を自分のものとし、権力を行使することで地域に利益をもたらした。
一方地域は、得票によって田中を支えた。
権力の源泉はカネなのだが、党人政治家の多くは、大企業からの政治献金という合法的な賄賂に依存しているから、さほど気前よくカネをばらまくわけにもいかない。
田中の場合、合法賄賂だけにとどまらず、ペーパーカンパニーを使った土地転がしによって、自力でもカネを集めることができた。
合法賄賂と土地転がしのどちらが悪質かは、考えようによるが、五十歩百歩というのが、実際のところだろう。
本書は主として、田中の言語・発想法について、詳細に書かれており、それとして興味深いのだが、彼を必要とした「日本」の現実のなかで、田中が何を実現しようとしたかについては、記述されていない。
近代日本は、急速な近代化を実現するために、太平洋側の大都市に開発リソースを傾注し、農山漁村を内国植民地とも言うべき状態に放置した。
それは、近代化=経済合理的な社会構造の形成にとって、必要なことだった。
しかし、「国家」的経済成長が存在するかのような幻想がある中で、農山漁村の「遅れた」現実は覆いようがなかった。
田中が人々の心をつかんだ背景には、こうした現実があった。
田中の出した処方箋は、本書が述べるように、経済成長=税収の伸びが実現されている限りにおいてのみ、有効だった。
田中が首相だった時、ドルショック・オイルショックが「日本」経済を襲った。
経済の伸びが期待できない中、「開発と福祉」を両立させるのは不可能だったし、アラブと結ぶ資源戦略は、アメリカの忌諱に触れざるを得なかった。
かくて田中角栄は、挫折した。
今のところ、そんな見通しを持っている。