新潟県山古志村の人々による、中越地震体験記集。
同村は、子どもの時に読んだ『鯉のいる村』の舞台になった村である。
2004年10月23日夕方、埼玉県の当地もかなり揺れた。
震源地は柏崎南方だが、揺れの激しかったのは、山古志村・小千谷市・川口町などだった。
山古志村は、低いが急峻な丘陵地帯に囲まれた、比較的ゆるやかな起伏を持つ盆地状の地形の村で、萱峠から眺めると、低山がうねうねと波打っているように見える。
太い交通機関には恵まれていないから、暮らすにはよいとはいえ、高齢化が進んでいるのだろうことは、執筆者には年配者が多いことからも、うかがえる。
そこに未曾有の激震が襲ったわけだが、体験者が証言を読むと、家屋や鯉の飼育池などは崩壊し、風景も一変するほどの、想像を絶する揺れだったらしい。
本書を読むと、地震による二人が犠牲となられたようだ。
地震の破壊力からすれば、犠牲者が多くなかったことは、不幸中の幸いだったように思う。
『荒ぶる自然』の読書ノートに、
各種の天変地異との付き合い方は、列島の民にとって、生存の第一条件でなければならないはずであり、天変地異から逃れる方法は、納税の目的の重要な柱を占めていなくてはならないはずだ。
と書いたが、その考えは変わっていない。
この列島で暮らすとはどういうことか、政治も行政も、どうしてまじめに考えようとしないのか、理解できない。
田中角栄は若い時に、三国峠をぶち抜いて、関東平野に雪雲を流せば、新潟に雪が降らなくなると言っていたが、そははもちろん、象徴的な言葉である。
列島の民は、地震や豪雪や洪水や津波や噴火と一緒に暮らさねばならない運命なのである。
「国土」整備の発想において、最も意を用いるべきは、そのことでなければならない。