自民党の政治家数名と田中の秘書による、田中角栄回想談。
田中角栄礼賛本の一つであるが、政治家たちにとって、田中がどう映っていたかを知ることができる。
中曽根康弘と福田赳夫の回想は、長い割に内容がゼロである。
官僚出身・エリート軍人出身者には、田中が理解できないのだろうし、隠蔽したい事実も多いのだろう。
政治家の中では、後藤田正晴と羽田孜が正直なところを語っている。
本書に収録されていないが、二階堂進や橋本龍太郎もおそらく、同様の感慨を持っていたのではなかろうか。
これら田中派の政治家たちは、モノゴトを国会語に翻訳してシッポの探り合いをする政治の世界で、人間の言葉で政治を語り、できないことをできないと言い、いったんやるといったことを実行する田中の存在は、たいへん魅力的だったのだろう。
もっとも、裏をかえせば、政治の世界が、いかに日常語からかけ離れた世界であるかということでもある。
本書に登場する三人の秘書たちは、田中のめざしたものの正当さを確信している。
田中という政治家の最大の意義もまた、そこにある。
「日本海側と太平洋側のあまりにもひどい格差を縮める」(佐藤昭子)
「おれの国土政策の目標は年寄りも孫も一緒に楽しく暮らせる快適な環境をつくることだ」(早坂茂三)
「惨めな生活を強いられた(新潟の)人たちも、太平洋側の人たちと同じ暮らしをする権利がある」(山田泰司)
彼ら秘書たちは、めざしたものの大きさに比して、田中がなした(かもしれない)悪など、とるに足らないと考えている。
金権政治はないほうがよかったが、田中がめざしたのは金権政治ではない。
彼がめざしたものは何だったのか。
金権は許せないという議論と、田中がめざした日本列島はどのようなものだったのかというテーマは、別の問題である。
後者の問題について、さらに深く追求する必要がある。
田中角栄はすでに、近代史の大きなテーマになっている。