「日本」人が自分の責任を棚上げして「悪いのは私じゃない」と他罰を言い募るようになったと主張する書。
精神科医がそのように言うのだから、おそらくそうなんだと思われる。
興味深いのは、著者が分析する、その背景である。
著者は、1990年代以降、この国を覆うようになった「成果主義」に、その主要な原因の一つを見ている。
「成果主義」は、原則として、仕事(や勉強)のプロセスを評価の対象としない。
プロセスだけでなく、「将来性」や「可能性」のように、数値的に計測不可能な要素も、評価しない。
人間の仕事のなかで、その結果が数値的に計測できるものは、全体のごく一部である。
商品の売り上げは計測可能だが、次につながる売り上げであるか否かという質の部分は、数字だけでは計測できない。
従って仕事の到達度を数値的に計測すること自体が、はじめから不可能なのであり、数字のみを評価の対象としていたのでは、会社の業務全体がうまく回転することにはつながらない。
そのことは、先行して成果主義をとりいれたアメリカなどにおいて、とっくに明らかになっているが、「日本」における「成果主義」への流れは、止まらない。
それはおそらく、会社にとって、事業をうまく回すことによって社の招来につなげていくということよりも、今すぐ利益をあげて株主に配当を計上することのほうが優先されているからだろう。
そこは、数字以外の貢献度も評価されず、「頑張った」というプロセスも顧みられず、数字が全てという世界である。
ここで自己の存在を主張し続けるためには、「それは自分ではなく他人の責任だ」と他罰的な態度をとる以外にはない、というのが、著者の見方である。
そう言われれば、なるほどと納得してしまう。
一方、ネットにおける他罰主義・「ネトウヨ」たちの言動についての分析は、今ひとつかなという感じがする。
ネットにおける独特の言論動向については、別の本に書いてあるかもしれないので、調べてみよう。