田原総一朗氏が進行役となり、佐藤優氏と宮台真司氏が語る鼎談記録。
鼎談といっても、佐藤氏と宮台氏が直接議論をかわす場面はほとんどなく、鼎談の体をなしてはいない。
佐藤氏と宮台氏に共通するのは、該博な知識を持ち、「日本」のあるべき姿について、ある程度はっきりした展望を持っておられる点と、いずれもエリートであり、国家はエリートによって運営されるべきだと考えておられるフシがある点である。
「ファシズムのススメ」とはそのような意味である。
エリート(独裁)史観のすべてが悪とは限らない。
その対極に位置するマルクス主義(というか「共産党」と呼ばれる組織)だって、リーダーの思想を党員が習得し「鉄の団結」をもって行動すべきという組織原則をもっており、大衆主義の皮をかぶったエリート主義だとも言える。
佐藤氏と宮台氏は基本的に、グローバリズムに疑念を持っておられない。
ラジオに登場する(テレビを持たないからラジオなのである)経済評論家諸氏もほとんどが、グローバリズムを自明のこととしているのだが、果たしてそれでいいのか、釈然としない。
グローバリズムのメリットは、モノを売ることができる点にある。
経済的に独立・孤立の道を歩むと言っても、例えばエネルギーを完全に自給するなど、絶対に不可能なのだが、「農産物を買ってくれない国に石油は売らないぞ」という意地悪をする国はありえない。
グローバリズムは基本的に、「売らせてやるから買ってくれ」という方向の圧力だからである。
だから、「欲しいものがあるので売ってくれ。こっちのものをどうしても買ってくれとは言わないから、そっちも『どうしても買ってくれ』とは言わないでくれ」という孤立は、十分可能なのではないかと思うのだが、どうなのだろうか。
両氏の発想は、自分などの発想の落とし穴を鋭く指摘される部分があって、納得できかねる部分も大きいが、面白いし、役に立つ。
宮台氏が、アジア主義のルーツの一つは自由民権運動だと述べている点などはその例で、民権運動が、自由や権利のみを追求していたのでない点は、留意しなければならないと思う。
本書が刊行されて1年たち、大阪から実際にファシズムのうねりが始まった。
この本で両氏は、理性ある全体主義を指向されているように思う。しかし大阪の動きは明らかに、ポピュリズムである。
このポピュリズムに対し、両氏はどのように考えておられるだろうか。