著者が戦後、家族や仲間と共に炭焼きや林業労働に携わってきたかつての現場を、回想とともに訪ねて回った際のエッセイ。
読んでいると、薄暗く演出された博物館で、戦後まもない頃の林業労働の現場に関するよくできた展示を見ているようだ。
この本を読むことで、その時期の熊野の山仕事がほとんどわかると言うと言いすぎだろうか。
美しい自然描写とともに描かれているのは、熊野の森の豊かさや、林業労働の苦しさと楽しさ、若い力を仕事と読書・社会との関わりに燃やす青春そのものである。
著者の作品のみずみずしさは、はたらくことに対する繊細な感覚が、生きているからではないかと思う。
仕事がルーティンに堕していないのは、若い感覚がすり減っていないからだ。
仕事の意味を問い、意味ある仕事に打ち込むことに誇りと生きがいを感じ、精神の高揚をめざしてさらに仕事の意味を問う。
不便の極で暮らすことを強いられ、肉体を激しく消耗するかつての山仕事とは、不定期雇用という名の、究極の「疎外された労働」とは、全く対照的な、人間的労働なのだった。
最盛期に日本の林業従事者は数十万人規模だった。現在はその10分の一程度だろう。
産業というより、「温暖化対策」関連予算による補助金で、職業が成り立っている部分が少なくないと思われる。
林業は、この列島を、人が住みやすいようにする仕事でもあったのだが、それもまた、競争原理にはなじまない。
2011年には、十津川・熊野一帯を豪雨が襲い、斜面がまるごと崩落して、土石流や土砂ダムが発生した。
ネットニュースで現場写真を見たが、崩落したところの多くは植林地であるように見えた。
本書の中にも、間伐の手が入っていない山が多いという記述が見られる。
列島有数の林業地帯であるだけに、手が入らなくなると、山が荒れてしまう。
自分が歩いたところにも、下草のまったくない、真っ暗なスギ林があちこちに存在した。
豪雨地帯だから、大雨には強いと思われていたが、斜面の脆弱化が進んでいるのだろう。
ここに書かれているような暮らしや技術を忘れてしまってよいのだろうか。