沖縄県伊江島で反戦・反基地を闘ってこられた著者の語りの第二弾である。
前著『米軍と農民』は、おおむね、沖縄の本土復帰前までの苦しい闘いが内容だったが、この本は、復帰後の状況について、語られている。
本土復帰後の沖縄では、アメリカ軍でなく、日本政府が米軍用地の調達・提供を担当した。
アメリカ軍は、銃剣とブルドーザーで住民から土地を取り上げたのだが、日本政府は、札束で相手の頬をひっぱたくやり方をとった。
用地提供契約に応じれば、想定される農業収入より大幅に割高な軍用地料だけでなく、謝礼金や協力金などという名目で金がもらえ、なおかつ農業が黙認されたという。
ここで問われたのは、米軍用地提供に応じる姿勢の有無だった。
1989年には、伊江島に垂直離発着機(ハリアー)の訓練基地が計画された。
村当局はこれを受け入れる立場だったのだが、この時点で村には、10年間に55億円の見返り事業費が落ちることになっていた。
村の収入の4分の1は基地関連だったから、伊江村はすでに、基地から落ちるカネなしでは生きられない中毒状態にあった。
これでは、どこかで基地依存を断ち切らなければ、ますます中毒の泥沼に陥るほかはない。
著者は、ずっと、反戦を土台とした反基地の立場を貫かれた。
著者は、戦争のための基地に反対することは、自分たちのためであり、地域のためであり、国のためであり、ひいてはアメリカのためでもあると確信されている。
まさにそのとおりである。
復帰後に著者が最も力を入れて取り組んでこられたたのは、沖縄戦資料館作りだという。
戦後すぐの時期以来、著者が集めてこられたさまざまなモノの数々を、島を訪れる人々に見せるための施設を建設することは、単に経済面だけでない困難があった。
ところで、資料館は「わびあいの里」という障害を持つ人々の作業施設などと同じ敷地に作られているようだ。
著者の闘いを支えている考え方は、一燈園から学んだという「わびあい」というものだ。
これは、まず他人の利益を第一に考えるとか、まず自分の責任を考えるというものである。
沖縄県民にとってはアメリカの兵士は加害者だが、彼らを責めるのでなく、彼らの安全や平和裏の帰宅を願って、軍用地を返還すべきという論理である。
ガンディーにも通じる、深い思想だと思う。これは、沖縄の伝統思想と関係するのだろうか。