小澤浩『民衆宗教と国家神道』

 幕末期に、はかりしれないポテンシャルを持つ、いくつかの宗教が誕生した。

 如来教・黒住教・金光教・天理教・大本教・丸山教などである。

 ポテンシャルとは、人間のあるべき姿を追求し、社会のあるべき姿を真正面から追求するパワーを意味する。



 今は、国家や権威にもたれかかったり、教祖周辺の個人的な利得を追求する「宗教」も存在するが、それらはもちろん、宗教の名に値しない。

 これらに共通するのは、外国との関係が生じたことや商品経済の本格的な展開による、危機感・不安感を背景としている点であろう。
 多くの民衆は、二宮尊徳的勤勉さや世直し一揆的行動へと、自己を凝縮することなどできない。
 信仰とは、誰にも可能な実践なのであり、これら新宗教の教祖たちは、誰もが理解できる教義と、誰もができる努力を提起してみせたのである。
 理論的に胡散臭いものや超人的修行を必要としたのでは、広範な民衆の心を捉えることはできない。

 江戸時代は、キリスト教の禁教はほぼ徹底され、寺壇制度の下で民衆の心性はほぼコントロールされていたかといえば、そうでもない。
 百姓一揆の計画や幕府の政治路線に抵触するような思想は当然、厳しく取り締まられたが、諸上納を怠りさえしなければ、一般の百姓に対するイデオロギー統制は、ずいぶんのどかだったと思われる。

 幕末に芽生えた諸宗教にとって、苦難の時代は、明治以降だった。

 国家神道を基本に据えた国家イデオロギー形成を図った明治政府は、天皇制国家の思想的秩序に整合しない宗教・思想を容認しなかった。
 幕末以来の諸宗教は、国家神道の踏み絵を踏まされ、教派神道という形で国家神道との論理的整合性を整えない限り、存在を許されなかった。

 まだ存命だった教祖たちは、自分が築きあげてきた教義が国家によって蹂躙されるのを認めなかったが、教団の後継者たちにとって、理論的に国家の軍門に下る以外の選択肢はなかったといえる。

 昭和戦前期に入ると、表向き何の思想的問題もないかに見える諸教団が残酷な弾圧を受け、民衆が人間存在について真剣に知的追求をすることはできなくなった。
 人間に対する関心を持つことが許されない世の中ほど、非人間的な社会もない。

 幕末以来の新宗教がたどった道を、もっと深く歩いてみたい。

(ISBN4-634-54610-8 C1321 P800E 2004,6 山川出版社 2011,10,12 読了)