舘野和己『古代都市平城京の世界』

 ヤマト国家成立後二番目に建設された都市である平城京は、どのような町だったのか、どのような人々が住み、どのように暮らしていたのかをわかりやすく説いた本。

 天皇が住んで政を行う宮と役人が執務する官衙や住居などの街区を備えた本格的な京都は、藤原京が最初である。

 何らかの事情で藤原京が放棄された後、おそらくは半永久的な京都として使用されるという見通しのもとで、平城京は建設されたと思われる。

 平城京は、当時の一般的な日本列島人の暮らす世界とは全く異なる、いわば異次元空間だった。
 京内の景観は、普通の人々の理解をはるかに超えるものであり、これを建設した権力とは、神にほかならないという言説が現れるのも、無理からざることである。

 京都は、統治そのものに必要であると同時に、蝦夷を始めとする(ヤマト国家にとっての)異民族に示威するためにも必要だったから、中国の都城を真似たものとはいえ、ことさら荘厳に粉飾されていただろう。

 七世紀末以降、それだけの土木工事・建設工事を遂行する権力が、ヤマト国家において確立されたということである。
 藤原京がある程度の規模だったとすると、それを放棄するのには、相応の理由があったのだろう。
 権力者たちは、京都の造営にどの程度の代償が必要なものか、どれほど理解していたものだろうか。

 著者は、平城京の人口を10万人程度と推定されている。
 この中には、官吏・商人・職人・運脚その他の上京者・及び浮浪者が含まれる。

 非農業民が多数集住するところだけに、宗教的な大ムーブメントが発生した。
 730年に、京の東の山に、数千人から一万人を集めて、妖言し衆を惑わすものが出現したという。
 同じ年に、周防と安芸でも、妄りに禍福を説いて衆を惑わすものがいた。

 支配者たち自身が、妄りに禍福を解く者たちに振り回されていた時代に、民衆の中から自発的な動きが出てくるのは、不自然でない。
 ことによると、日本列島にも、イエスがいたかもしれない。

(ISBN978-4-634-54070-5 C1321 P800E 2001,7 山川出版社 2011,9,21 読了)