関東地方で山を歩いていると、至るところで見る板碑についての概説書。
やはり類書がないので、助かる本である。
本書によれば、板碑の発生は平安時代後期であり、五輪塔が転化したものである。
五輪塔を構成する五つ(ないし四つ)の石は、地・水・火・風・空を意味する。
死者供養のための塔で、真言系の僧が勧めたらしく、密教思想と深くかかわるが、密教のみに関係する塔ではなく、日蓮宗系や浄土宗系の人々によっても建てられた。
塔に代わる板碑は、関東地方一帯に建てられた。建立地は、鎌倉幕府の御家人たちが住まいした場所の近くである。
板碑の建立者は、御家人を中心とする武士たちだった。
板碑は、御家人の多い相模・武蔵を中心とする一帯に多く、板碑に加工しやすい秩父産の緑泥片岩が使われた。
板碑の意味は、追善供養だったが、次第に法名だけを刻した、墓碑としての役割を果たすことが多くなった。
さらに15世紀以降、建立主体には一般民衆が加わり、日待供養を目的とする板碑が建てられるようになった。
戦国時代以降に板碑は廃れていくという。
したがって、現在なお、山道の路傍に建つ大小の板碑は、少なくとも室町時代以前に、そこに暮らした人々の存在の証なのである。