主として鎌倉時代から室町時代にかけて、神仏習合の理論がどのように変遷してきたかをあとづけた書。
支配者・民衆の信仰実態については、ほとんど書かれていない。
とはいえ、人々が、理念のないものを信仰することはありえない。
さらに信仰という行為には、支配者であれ民衆であれ、額の多寡はあれ、金銭や財物の提供が伴う。
であればなおさら、理念が問題でないということは、ありえない。
本書を通じて理解できたのは、一つには、列島の在来信仰が、神仏習合という形で、仏教と理論的に切り結ぶことによって、神道へと自己転形してきたということである。
まず神道ありき、ではなかったのであるし、在来信仰イコール神道でもなかったのである。
したがって、伊勢神宮を含めて、寺院と神社との厳密な区分けは存在しなかった。
延暦寺の守護神が日吉神社であるというような形は、当時にあっては、至極自然なあり方だった。
仏教から神道が理論的に自立し始めるのは、モンゴルの来襲を期に高揚したナショナリズムと、南北朝期における天皇存在のクローズアップを直接的な契機とするようである。
神仏習合・分離の理論的模索が、支配者・民衆の信仰上のいかなる要求をフィードバックしたものだったのか、あるいは、信仰の実態にいかなる変化をもたらしたのかは、本書には記述されていない。
本書にとりあげられている教理上の理論家たちは、理論的模索を後世に残すことのできた、いわば頂点的思想家たちである。
地方には、小地域支配者をパトロンとする、中規模な寺院があったのだが、そこでの思想的営為は、文献として残されてはいない。
われわれが知ることのできる、列島の民の想念とは、当時の実態のごく一部にも達してないのではないかという思いである。