ちょっとした件で党を離党した著者が、日本共産党の実態とあるべき姿について述べた書。
この党が北朝鮮のような社会をめざしているわけではないと思うが、党内で自由な議論ができる状況ではなく、同党がかかわる形での「日本」社会の変革の展望は見えてこない。
この党はコミンテルン日本支部として、世界革命を担う一翼として出発した。
スターリン時代に世界革命は非現実化したが、日本革命をめざすと同時に、新たに「社会主義」ソ連防衛の役割も担った。
この時期、反戦を始めとする具体的な闘争課題に、「日本」国内では唯一、一貫して取り組んだことは、評価されるべきである。
党創立の1922年以降、コミンテルンはスターリンの支配下に入っていった。
「日本」もそうだが、資本主義国における共産党の活動は激しい弾圧下にあったから、組織には「鉄の規律」が必要だった。
もっとも、ソ連の場合は、「鉄の規律」とはスターリン支配を維持するための暴力機構にほかならなかったのだが。
戦後になって、党が再建された後しばらくの間は、活発な活動が見られたが、冷戦の激化に伴い、占領政策が反共主義的に転換すると再び、組織を引き締めざるを得なくなった。
路線問題は組織問題と入り組むようになった。
理論的・政策的な純化は、複数の意見の存在を否定する。
対立意見は、主たる敵以上に憎悪され、克服すべきものとされるようになった。
路線問題を組織問題化するのは、スターリンの手法だった。
日本共産党の場合、ソ連や中国による内部干渉(これまたスターリン時代の遺物である)とも闘わねばならなかったから、1960年代に至ってもなお、路線問題はすなわち組織問題だった。
路線問題を解決したのは、宮本顕治だった。
彼の提起した路線は、「日本」の現状を踏まえたものだったが、純化した「正しい」路線・組織を拡大することによって支持を広げようというやり方に反感を持つ人々も少なくなかった。
理念や路線が正しければ、水が高きから低きに流れるごとく支持が広がるはずだという論理は、多様な意見の混在する現実にあっては、有効でない。
理念や路線の正しさに確信を持つのはけっこうだが、多様な正しさが存在する現実を認めなければ、運動を組織することはできない。
今の「日本」の現実政治の中で、日本共産党が存在する意味がないとはいえないが、その役割を果たすのが日本共産党でなければならない理由はない。
日米安保を否定し、列島の環境を守る政策を掲げる政党なら、なに党であってもかまわないのである。
「鉄の規律」を必要とした時代は終わった。
保守政治への対抗軸は必要だが、政党が一枚岩である必要はない。
たとえば、ネットワーク型のもっと緩い組織形態の政党があってもよい。
国民のために献身的に活動している人も多いのだろうが、この党の今のあり方には、未来がない。
著者は、後藤田正晴氏の「社民党と一緒になって社会主義的政策を主張した方がよい」という言葉を紹介しているが、そのあたりが正鵠を得ていると思う。
(ISBN978-4-10-610164-9 C02316 \680E 2006,4 新潮新書 2011,3,2 読了)