江戸時代から明治にかけて、日本海で活躍した北前船の略史。
この著者の文章は実に読みやすい。
古代以来、日本海は、ひとつの世界を形成していた。
鎖国時代に、域内における公的な交流は存在できなかったのだが、記録に残っていない日本海世界は、存在し続けていただろう。
北前船は、記録に残っている世界の話である。
北前船を所有していた人々、船に乗って日本海を行き来していた人々は、能登の人々だった。
どうして若狭や越後でなく能登なのか。
経済史家は、能登の農業生産性がどうとかいうだろうが、基本的には海流や地形の関係ではないかと思う。
北前船の人々は、北海道や東北で荷となる物資を仕入れ、日本海を西下して関門海峡から瀬戸内海に入り、上方で北の荷を売って都会の荷を買って再び西回りで北へ向かう。
能登に帰るのは、船旅の途中と、日本海が航行不能な冬の間に限られる。
冬期は、船を上方に係留して、徒歩と海路で故郷に帰り、春になれば上方から出航したという。
網野善彦氏の著作には、土地を持たぬ百姓「身分」でありながら、莫大な富を築いている人々が登場する。
北前船を所有し、操船して荷を運んでいた人々はまさに、そのような長者だった。
江戸時代の経済は、石高制のもとで「農民」がコメを生産して現物納で年貢を納めることで成り立っていたという、教科書的常識にとらわれていては、北前船を理解することなどできない。
あるところにたくさん存在するモノを、それがあまり存在しない別のところに運んで、高価で売るという至極単純な商行為だが、日本海という大きな舞台でモノを移動させれば、莫大な利益を得ることができたのである。
日本海世界は、世界資本主義というはるかにグローバルな世界の登場によって次第に意味を失い、北前船は、明治後期にほぼ、その役割を終えた。
たしか、秩父の石で作られた中世の板碑が能登で発見されていたと記憶する。
北前船は、山と川と海を自在に行き来した旧世代グローバリズムの所産だったのだろう。
今や、ローカルなど存在さえしなくなった
グローバルとローカルの中間に位置する世界に活気が出てきてほしいものだ。
(ISBN4-00-430208-0 C0221 P550E 1992,1 岩波新書 2010,8,2 読了)