骨太な二人の論客による対談。
「日本」と称する国は、軍事的・侵略的国家へと再生するために、侵略の歴史を偽造し、「法」や制度の再構築を着々と進めている。
対談のモチーフは、その流れにいかに抗するかである。
全体を貫くキーワードは、「魯迅」である。
耳あたりのよい、ファナティックな言語は、味方を撃たない代わりに、敵をも撃たない。
お二人が言うに、魯迅には、肉を斬らせて相手の骨を断つ、本質的な告発があった。
自己弁護と自己満足に終わっていたのでは、支配者と腰を据えて闘うことなどできない。
自分を安全圏においていたのでは、闘えない。
国家を牛耳る特権層は、自らに都合のよい「法」を整備し、マスコミを操って世論を誘導し、制度を整える。
抵抗の余地はほぼ、ない。
しかしそこから抵抗しなければ、人間が、憎んでもいない相手と殺しあわねばならなかったり、死ぬまでこき使われて捨てられる世の中が訪れることになる。
とくに辺見氏の語りように、愚痴のような響きがあるのは否定できない。
抵抗の余地がほとんどなくても、ごく僅かな可能性に賭けて、国家に挑むべきだという議論だが、それはもっともだと思う。
ただし、自分の考えるキーワードは、「地域」や「暮らし」である。
そのあたりが、お二人とは立ち位置がやや異なっている。