高文謙『周恩来秘録』(上下)

 文化大革命の開始からその死に至るまでの周恩来の評伝。
 個々の事実に関する著者なりの見解が散りばめられてはいるが、上下あわせて700ページに及ぶ大著に記されている事実には、出典があげられている。


 10年間に及ぶ権力闘争史をこれほど微細に描いた本を、読んだのは初めてだ。

 例えば江戸時代の幕閣内部の争闘と、中国共産党のそれとを、同列に並べることはできない。
 幕閣に権力争いが存在するのは本質上自然なことだし、Aと組んでいたBがCと組もうが、さして大きな問題でもない。

 しかし中国は、世界最大の人口を持つ大国であるだけでなく、社会主義をめざしていたはずの国であり、社会主義中国は、人民の利益を第一に建設されていると自称している。

 ところが本書を一読すれば明らかなように、今なお社会主義中国の象徴的存在であり、死ぬまで中国国民から尊敬され続けたはずの毛沢東は、権力欲のみを行動原理とする人間だった。
 周恩来は、その権力亡者に付き従いつつ国政全般を担当した。

 1950年代後半の「大躍進」は、中国における毛沢東の舵取りが根本的に誤っていることを明らかにした。
 当時の中国指導部には、有能で誠実な人々が少なくなかった。
 中国の悲劇は、政治家として無能な毛沢東が、党と国の最終決定権を握っていた点にあった。
 これ以降毛沢東は、的はずれな政策・方針を指導部に強要し続けたのであり、疑義を述べるものは残酷に粛清され、死にたくなければ毛沢東の暴論に激しく賛成するしかなくなった。

 周恩来は、大躍進・文化大革命のいずれにも進んで与しようとはしなかったものの、表面上は毛沢東の妄想的な議論に従い、誠実な幹部の粛清にさえ手を染めた。

 文革とは、フルシチョフによるスターリン批判が中国で再現され、自分が追い落とされて批判されることを阻止しようとした毛沢東が、江青・林彪ら取り巻きを使って起こした内乱だった。

 毛沢東のターゲットは常に、党と国において自分の次に位置するナンバー2であった。
 最初は劉少奇が、次に林彪が、最後に周恩来が狙われた。
 周恩来は、あくまでも毛沢東に忠実であろうとし続けたが、毛沢東は死ぬまで周恩来抹殺のための謀略を仕組んでいた。

 周は病気に倒れ、毛に治療を禁じられて死去したが、彼が今少し生きながらえていれば、毛による粛清の餌食となっていたのは、確実である。

 この本は、二つの大きな問題を提起している。
 一つは、我慢強く誠実だった周恩来という人間がどのようにして形成され、なにゆえ毛沢東という妄想狂に従い続けたのかという問題である。

 前者の問題について著者は、周の人格的基礎にある儒教的精神を指摘している。後者については、周恩来は、革命家としての晩節を全うするには毛に従うしかないと確信していたのだろうと、推察している。
 いずれにしても、中国革命をなしとげたリーダーたちが、自らの理性の上に毛沢東という個人を置いていた事実は、さらに解明されるべきである。

 もう一つの問題は、社会主義における個人崇拝の問題である。
 歴史における個人の役割については、マルクスやエンゲルスがすでに説明済みであり、彼らの理論に個人崇拝が入り込む余地はない。
 事実、レーニンまでは極端な個人崇拝は存在せず、個人崇拝の系譜はスターリンから始まると言える。

 スターリンの個人崇拝を毛沢東が継承し、中国はとりあえずそれを断ち切ったが、中国からそれを継承した北朝鮮が、権力の世襲化によって金王朝を発足させた。

 個人崇拝が危険なのは、王座の維持をすべてに優先させ、国民や周辺世界の平和を顧みないからである。
 スターリン支配下のソ連がドイツとともに第二次世界大戦を開始した事実、文革の影響から完全には脱していなかった中国がベトナムに侵攻した事実などを想起すれば、周恩来のいない文革時代の中国に等しい北朝鮮の金王朝が、極めて危険な存在だということが理解できよう。

 中国では、鐺案という、国家と党の幹部に関する極秘資料が整備されているという。
 本書は、それに基づいて書かれている。
 日本では政治家の過去は偽造されるだけだから、そうしたシステムが存在するだけ、まともであるというべきだろう。

(ISBN978-4-16-368750-6 C0098 \1857E 2007,3 文藝春秋 2010,2,10 読了)


(ISBN978-4-16-368760-5 C0098 \1857E 2007,3 文藝春秋 2010,2,10 読了)