「日本」がどのような国家になっていくのかを決定づけるような重要なエポックが、戦後史の中にいくつかあった。
場面場面において、抵抗者の声は圧殺され、国家の論理が貫徹したかに見える。
抵抗者の声を圧殺したことが、何を意味するかは、読者が玩味しなければならない。
それらのエポックにおいて、抵抗者として人間の論理を主張した人々が、その思いを語るインタビュー集である。
取りあげられているのは、「日本」と沖縄、花岡事件と「日本」人、ウラン残土と「日本」人、大潟村の米減反、国鉄解体、成田空港と三里塚、アイヌ人と「日本」、在日の問題、読売争議の9つの問題である。
一番よくないのは、徹底的に考えない態度だろう。
問題に関する一般原則を述べて事を済ませるなどというのは、不誠実である。それなら、何も言わない方がましだ。
例えば、沖縄と日の丸の問題。
沖縄戦の際、「日本」軍=「日本」国家の命令に反して、集団で投降した人々もいた。彼らの命は助かったが、「日本」国家に忠実だった人々は、無惨な死を遂げた。
「日本」国家に属している限り、人の命は保障されないのである。
国家が何か、価値あるものだという寓話が幻想だということを、多くの戦記が語っているのに、頭の悪い人々が、自ら信じる国家神話を大きな声で教宣流布しようとするから、迷惑してしまう。
「日本」国家に、実体など存在しない。
めくらましの看板が天皇であり、近年の首相ら特権政治家たちは、「日本」教団の宣伝屋にすぎない。
強いてその実体は何かと言えば、特権政治家と一部の企業トップおよび官僚トップを中核とする利害共同体が、「日本」教団の暗黒星雲である。
目を覚ますチャンスは、何度もあった。
考え始めるのは、遅くなるよりは、早いほうがよい。