1925(大正14)年に刊行された著者の『或村の近世史』をメインに、高田宏氏が編集された本。
「里山からのメッセージ」という、洒落たサブタイトルがついているので近年の著作かと思ってしまうが、たいへん古い時代の、熊本県の山里における出来事集である。
山里では、狐狸のたぐいが登場する事件が頻発する。
このことの意味について哲学的に考察したのが、内山節氏の『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』であるが、同書にあるように、生息数は増加しているにもかかわらず、タヌキが人を騙す事例は皆無に等しくなった。
かといって、本書の内容が「日本むかし話」のようにファンタジックだというわけではない。
ここに描かれているのは、地主制のもとで、食うために日々呻吟して生きていた山民の、リアルな姿である。
ここに登場する村人は、地主と激しく対立する階級的存在としての小作人でも、地主の搾取と運命に隷従する、『土』に描かれたような農民とも異なる。
本書は、大正期の山村の息づかいを、最もリアルに再現している、希有な作品だと思う。
大正の村はその後、どうなったのだろうか。
おそらくここからも、おおぜいの出征兵士を出しただろうし、そのうち相当数の人々が帰らなかっただろう。
農地解放によって自作農が多くなり、村が活気づいた時期もあったが、高度成長期以降は、列島の各地と同様の運命をたどっただろう。
建て直しが可能だったとすれば、それはいつだったのか。
本書には、商品経済の侵入に伴う共同体の崩壊が、村を荒廃させたことが示唆されている。
このあたりは、階級闘争史観からは抜け落ちてしまう部分だが、ここを明らかにしないと、農山村再生の道は見えてこないのではなかろうか。