貧困と階級闘争によって描かれる江戸時代像の克服を提起した書。
この本が書かれた1995年当時にどうだったかは確と記憶しないが、学生時代を過ごした1970年代末には、網野善彦氏の『無縁・公界・楽』も出版されており、「むしろ旗を立てて一揆を繰り返す”貧しき農民たち”」(本書カバー)というようなステロタイプは存在してなかったと思う。
今から思えば幼稚な勉強しかしていなかったが、日本の近代化を美化するために、江戸時代を一面的に評価することは戒めていたつもりだから、例えば村請制については、その自治的側面より、支配の一環としての側面に重点を置いて考えていたのは、確かだと思う。
当時、この本を読んでいたら、江戸時代の村をどのように描くべきか、混乱してしまっていたかも知れない。
それはともかく、列島の歴史において江戸時代がユニークな時代だということは明らかであり、本書のような江戸時代像が最もリアルだということは、間違いない。
それは、この列島で暮らす上での知恵や技術が最高レベルに達したのは、この時代だと考えられるからである。
『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』(工事中)などは、江戸時代の治山・治水技術が非科学的なレベルだったかのように書いているが、それは誤りで、幕府の地方(じかた)支配においては、洪水・旱害と共生する治山・治水がめざされていた。
本書によれば、尾張一国に大豆だけで129の品種があったらしい。
土質・気候・地形が異なれば、その土地に適する品種も異なるのが、日本列島なのである。
あらゆる作物において、列島のすみずみにベストフィットした品種が模索され、成果をあげつつあったのが江戸時代だった。
年貢の捕捉率という問題は、基本的だが、あまり論じられてこなかったと思う。
地方史料を読んでも、この点はほとんどわからない。
だが、秩父事件の際に「徳川の世にする。無年貢3ヶ年」と述べた参加者の意識は、単に百姓一揆的レベルと片づけてはいけない。
ここから、江戸時代における年貢捕捉率の低さという問題と、武力で明治政府を変革しようとする革命意識の問題を解きほぐすのが、歴史学の仕事だろう。
江戸時代史から学ぶものは、非常に大きいと思っている。