過疎化の渦中にあった7つの村の村長へのインタビュー。
インタビュー自体は1985年から86年に行われており、話の内容は、バブル期のリゾートブームより前のことである。
村で暮らすことの困難さは深刻だったに違いないが、25年を経た現在に比べれば、はるかにのどかな印象を受ける。
日本の過疎地帯を襲った、その後の困苦を振り返ってみよう。
1980年代末から、リゾート狂想曲が各地を席巻した。
理念も貧困だったし、余暇を作り出す制度も全く不十分なまま、大規模「開発」によって国土は破壊され、一部の土建業者と不動産業者にアブク銭が転がり込んだ。
実態のないリゾート計画に、地方自治体も一緒になって踊った。
バブル経済が崩壊して、地域には、中途半端な「開発」の爪痕と、不良債権・債務が残った。
その後、行政の手厚い支援によって、銀行や大企業は贅肉を落として立ち直りの道を歩んだが、地方はリストラの嵐に苦しみ続けた。
1990年代末の不況下に、地方にやってきたのは、公共事業という名の、土建屋救済策だった。
談合という税金掠め取りを何度繰り返しても大したペナルティを与えられない土建資本は、この時とばかりに甘い汁を享受し続けた。
効率を求める資本の論理は極への集中をもたらし、地域の過疎化と高齢化が一段と進行し、この列島で暮らす知恵や技術が失われていった。
一方で、無駄なダム・空港の建設によって国土が蹂躙され、一部の人々は、住む場所や生活さえ奪われることになった。
21世紀に入ると、公共事業も縮小し、不況の中、財政破綻の危機に見舞われた自治体の中には、住民サービスの切り捨てに走ることによって、自らの首を絞めて隘路に迷い込むところも少なくない。
このように概観してみれば、この25年の地方行政は、失政以外の何ものでもないことは明らかだ。
本書に登場する村長たちは、村の危機的状況をリアルに認識しつつも、まだ意気軒昂としておられる。
これらの村々がその後、どうなったのかが問われている。
25年前の時点で村長たちが言っておられることはいずれも、的をはずしてはいない。
現実をひどくした政治の貧困を指弾することも必要だが、地に足をつけた自治体作りの展望を描くことが、それ以上に重要だ。