幸か不幸か、「体育会系」と呼ばれる世界に身を置いたことがない。
この本を読むと、それは幸いなことだったと思ってしまう。
軍隊というのもおそらく、こんな世界なのだろう。
若者が心身をトレーニングするのは、けっこうなことだ。
苦しいトレーニングに耐えることにより、それまでとは違った自分をを見いだしたり、得難い達成感や親友を得たりすることができるだろうから。
だが、本人がその合理性・合目的性を納得できなければ、トレーニングは無意味な苦行となる。
著者が所属した山岳部のトレーニングは客観的に見れば、おおむね、非合理的でも無目的でもなかったと思われる。
しかし、本人が納得できなければやはり、それは単なる苦行でしかない。
著者らが自分の意志でそこに身を置き続けたのは、合理性・合目的性を感じ取っていたからだろう。
上級生が絶対的な権力を持ち、下級生を圧服させる人間関係は、徒弟関係そのものであり、苦痛だと思われる。
しかし、大学1年生と4年生の体力・能力差は、どう見ても絶対的なものがある。
また、組織的な登山において、人間の序列が存在しなければ、行動に齟齬をきたすだけでなく、パーティの安全も担保されないから、正当な序列は必要である。
「無理偏に拳骨」的な脱線を伴いつつも、全体として著者の所属していたクラブは、強靱な登山者を育てる場だったのだろう。
こういう登山をしてみたいとは思わないが、どうやれば強くなれるかを知る上でのヒントが、この本には詰まっている。