大峰山脈の麓、奈良県吉野の山村暮らしに生起する日常を描いたエッセイ風の私小説。
著者は歌人である。
ここに出てくるのは、戦前から高度成長期ごろにかけての吉野地方である。
著者が大峰の北麓で、林業に携わってこられたらしい。
著者は、若いときから勉学のために都会に出ていたようだ。
それがどうして、山村暮らしに戻ったのかは、わからない。
しかし、ともかく日常に埋没せず、作歌生活を続けられたのだろう。
村で暮らしつつ、村に沈まない人には、二種類のタイプがある。
一つは、少し高いところから村の日常を観察する人で、このタイプの人は村に居ながら外からの視線で村を見ている。
もう一つのタイプは、村の土着者として、村の過去・現在・未来を意識しつつ、そこに生起したもろもろの諸事を自分のアイデンティティにつながる事件として、記憶しようとする。
著者は、後者に属し、小鹿野町飯田地区の故事・些事を記録した故新井佐次郎氏を彷彿とさせるものがある。
都市には、住民各自のルーツにかかわるような故事や口伝が、ほとんど存在しない。
山暮らしでは、斜面に生える樹木の一本一本や、畑のすみの石ころでさえ、自分はもちろん、親やそのまた親と、時間や喜怒哀楽を共にしてきた存在である。
集落は、一種の閉じられた世界であるが、そこに暮らす人々の個性は、数多の慶事・惨事に彩られる。
またそこには、山伏・巡礼や旅人など、他から訪れる人々もいて、彼らもまた、忘れがたい記憶を集落に残していく。
吉野は古い造林地であると共に、「日本」史上の著名人が行き来した土地であり、熊野と結ぶ大峰奥駈道の終着点でもある。
昭和という時代になっても、山伏や巡礼者の通行は頻繁で、山中の茶屋も賑わいを保っていた。
茶屋や宿坊が必要とされたのは、自動車による交通が開けていなかったからで、熊野古道などでは、茶屋あとといわれる立派な石垣しか、残っていない。
日本から、集落や地域にまつわる物語がどんどん消滅し、集落は、ヒストリーを持たぬ、単なる行政単位と化しつつある。
ヒストリーどころか、カネの無駄だからと言って、地名まで投げ捨てた地域も数多い。
人には、「生きる場所」が必要だと思うが、いかがなものだろう。