宮本常一の自伝である『民俗学の旅』もたいへん迫力のある本だったが、宮本と渋沢敬三の評伝である本書もまた、自伝を理解する上での必読書である。
『民俗学の旅』を読めばわかることだが、宮本民俗学は、渋沢敬三の力で誕生した。
宮本の非凡な学問的資質を見抜き、経済的援助と共に学問的方向性を与えたのは、渋沢だったからである。
前人未踏の宮本民俗学は、渋沢との、たぐいまれなる師弟のペア=ワークであった。
宮本は、余人の追随を許さぬ、聞き取り調査の巨人である。
他に例を見ない該博な知識を持ち、前向きの会話と笑顔によって、話者の心を開く職人的話術を持つだけでなく、抜群の記憶力によって聞き取りを記録した。
また、地方文書の読解力も凄かったようだ。
一方渋沢は、宮本の調査活動を一貫して支え、激励し、その方向性を示唆し続けた。
渋沢は、日銀総裁・大蔵大臣等を歴任した政治家・財界人でありながら、民俗学をはじめとする各分野の先端的研究者と交わり、自らも漁業史に関する著作を執筆した。
代表作の一つは『日本釣漁技術史小考』(もちろん未読)というおそろしく魅力的かつ壮大なタイトルの本である。
二人のいずれがいなくても、宮本民俗学は存在し得なかっただろう経緯が、本書には記されている。
宮本民俗学は宮本常一の作り出した世界だが、渋沢は宮本にとって、黒子に近い決定的な役割を果たしていた。
となると、渋沢が宮本民俗学に何を託していたのか、その背景を知らなければならなくなる。
宮本民俗学は渋沢とのペア=ワークとしてとらえなければならないのは、そのような理由による。
宮本民俗学とは、列島で暮らす人々が蓄積した、生活の知恵の集大成である。
宮本の学者としての目は常に、明日に向けられていた。
列島の民の来し方のすぐれたもの・よきものを継承することによって、列島のよりよき暮らしを築くことができる。
宮本は、列島の山民と海民の双方に目を向けたが、列島の気候・地形・地質はじつに多様であり、多様な暮らし方がある。
「日本人」あるいは「日本の暮らし方」とひとくくりにするには、相当な勇気が必要である。
電車や自動車でつっ走ったのでは、日本の何を理解することもできない。
歩いて聞き取ることによってしか、把握できないのが、多様で巨大な列島なのである。
本書の信頼性は、著者の徹底的な文献渉猟と徹底的な取材によっており、読んでいて、とても安心感がある。
宮本民俗学を理解する上での必読文献だと思う。