北八ヶ岳・麦草峠周辺にある、黒曜石の原石や石片探索記。
もっとも、どこの踏みあとをどう入るという記述を読んでも、具体的には全くわからない。
本書を読んで驚くのは、和田峠と並んで、麦草峠周辺が採集経済時代の原石供給所であり、石器製造所だったということだ。
北八ツといえば、コメツガやシラビソの黒木の森の印象が強い。
しかし、地質学的な時間の推移から見れば、植生は劇的な速さで変化する。
寒冷だった時期に今と様相が異なっていたのはもちろん、温暖化が始まったのちにも、草原化したり、噴火などにより荒地化したりした時期もあったはずだ。
和田峠と麦草峠は、距離的には近接しているので、この一帯は、日本最大の石器生産基地だったことになる。
これは、とても壮大な話だ。
著者は、石器の運ばれたルートをマタギ道と重ね合わせて考察しているが、このルートこそ、日本民族古来の幹線道路だったわけだ。
となると、石器と交換されるために全国からこの地に集まってくる物資の品数と量は膨大で、ここは、列島の情報センター的な位置にあったとも思われる。
秩父地方からも信州産の石器が出土している。
交易ルートは、十文字峠や三国峠、さらには十石峠など群馬県境の峠だっただろう。
どのような人々が何を携えて行き来したのか、興味は尽きない。
今度北八ツに出かけたとき、新しい倒木があったら、根元に黒曜石の石鏃がないか、調べてみよう。