コイズミという時代に、この国は弱肉強食の地獄と化した。
著者の真骨頂は現代民俗学的ルポだと思っているのだが、この本は、コイズミという現象に対する怒りと罵言に満ちている。
真っ当な怒りや罵言は必要でなければならない。
釈迦は生きることすべては苦であると言ったが、このところ、その言葉がずいぶん薄っぺらに聞こえるような時代になった。
すべての生き物の生が苦であるのは紛れもない。
だから慈悲に価値があるというのは、やはり真理だと思う。
今の世の中における生の苦しみは、一部の人間の欲が原因だから、そのことを指摘しないで「みんな苦しいのだ」というならば、欺瞞以外の何ものでもない。
労働者を生きていけるかどうかぎりぎりにまで搾取するシステムなど、冷静に考えれば望む者など誰もいないはずなのだが、生きるか死ぬかの底なし沼のヘリに手のかかりかけた連中が最後の力を振り絞って、多くの人を沼に叩き込むシステムを作るために知恵を絞っている。
いつの間にか頭に角が生えてしまったって、取り返しのつくものではない。
人の世界に、どういうわけでこれほどの格差を設けなければならないのか。
人をバカにした格差の存在に絶望したり、やけっぱちになるべきでなく、冷静に怒るべきである。
親から受け継いだ特権的な地位(そのような地位にあることは本来恥ずべきことなのだが)がより安泰であるように、勝手なルールを作って多くの人を不幸に陥れる、悪魔の所行を政治と呼ばねばならないとは情けない。
だが一方で、コイズミという時代を作りだしたのは国民だというのも冷厳な事実である。