同じく「動物誌」と題された本だが、西丸震哉氏の『山の動物誌』とは読後感がまったく違う。
西丸氏の本は、探検家・登山家として訪れる山で遭遇する動物について記したものであるが、宇江氏の場合、生活の場を動物と共有する中での動物誌である。
山歩きをする以上、野生動物との遭遇は避けられないが、動物と会うのが目的で山を歩いているわけではないから、トラブルを起こしたくない。
以前と違って、熊と出会いそうなところでは鈴を鳴らして通るようになったので、もう長いこと、熊とも会っていないが、それでいいんだと思っている。
山びとにとって、野鳥や野生動物は隣人同様の存在だったから、宇江氏の観察はたいへん詳細で、説得力がある。
隣人といっても、人と動物が平和裏に共存するのは難しい。
申し訳ないが人間にとって、鳥や動物は長く、狩猟の対象だった。
動物を捕獲・殺害してさまざまに利用し、感謝しつつ生活の糧とするのもまた、人間の暮らしだった。
今まで恒温動物を殺したことはないが、釣った渓流魚を食べたことは何度もある。
高温動物と魚といっても、命の重さに違いはない。
命をいただくことに感謝できない人間に、生きる資格はあるまい。
気が重いのは、山村における獣害の深刻さである。
生活の糧にする目的でなく、動物を殺さなければならない。
鹿の目を見てしまうととても殺せないし、害獣駆除は義務ではないからほおかむりしているが、固定数を減らさないと、動物たちにとってむしろ深刻な結果をもたらすことも予想される。
やれやれ、どうしたものかと思案している。