山林労働にかかわるもろもろのことを記録した本。
サブタイトルに、「山びとの民俗誌」とある。
森林は生態系の根幹をなす自然であるとともに、労働の場である。
より正確に言うなら、かつてはそうだったといわざるを得ないのだが。
日本が森の国であるのは、日本人が森を大切にする民族だからではない。
急峻な地形によって耕作困難な山岳地帯が多いということや、北上する日本海流(黒潮)と季節風に由来する温暖で湿潤な大気がもたらす大量の雨が、伐採圧力に負けぬ再生力を日本の森林に与えているから、日本の森は強いのだ。
原日本人は、必ずしも平野部を住処としていたわけではなさそうだ。
秩父における最も古い住居趾は、旧大滝村や浦山の洞窟であり、ここに住んだ人々は、雁坂峠や信州佐久地方とも交流していた山岳民族だった。
原日本人と激しい軋轢を伴いつつ列島主要部の支配者となっていった農耕民たちもまた、農のみなもととなる水をもたらす森林を神と考え、山に住む人々に敬意を払ってきた。
古代神道や仏教によってデフォルメされたとはいえ、日本人の意識の基底には、山岳信仰と海洋信仰が流れ続けた。
文字に残された歴史にはほとんどあらわれてこないが、日本人の多くは森に住み続け、森を生業の場とし続けたのである。
森における技術や知識は日本人にとって、漁業におけるそれらとともに、かけがえのない知的財産だったのである。
森林を科学の目で見つめることも必要だし、興味深いことに違いない。
森林に関する科学的な知見は、日本人の暮らしに、なにがしか有益なものをもたらしてくれるだろう。
だが、森を利用し、森で生きる知恵や技も、科学的知見に劣らず重要な、継承すべき知見なのだ。
この本に描かれているのは、熊野における、山仕事と山暮らしの点景である。
体系的な説明でないのでなおのこと、わかりやすく読むことができる。
秩父もやはり、森の国だった。
しかし、ここに語られているようなことごとはもう、人々の記憶から失われてしまったかも知れない。