山で出会う動物についてのエッセイ集である。
1980年ころに書かれた文章が多いように見受けられるが、2008年現在、日本における人間と動物との関係は、ずいぶん変容した。
著者は登山中、「カモシカやクマやサルの姿をおがめるチャンスは、ほんとうにごくまれなケース」と書いているが、現在は、そうでもない。
秩父地方では、獣害を防ぐために田畑に電気柵を設置するのは、ごくふつうのことになっている。
山間の集落で野生動物がでかい顔をする状況を著者は、「もとから住んでいたもののナワバリとして還元されたということ」と述べているが、そんなことはない。
秩父地方の場合、人が住みついたのは縄文時代に入るかはいらないかというころのことだから、これら動物たちの方が先輩だというわけではない。
山は、動物たちの世界であると同時に、人間の世界でもあった。
当初、人と動物は敢えて争う必要もなく暮らしていたと思われるが、農耕社会に移行してからは、きびしく対立しなければならなくなった。
山岳地帯に住む人々も、多少の農業を営んだが、人の作る農作物は動物たちにも魅力的な食べ物だったから。
人と動物は長らく、戦いつつ共存した。
人にとっては苦労な時代ではあったが、まずはバランスのとれたこの状態は、江戸時代が終わるまで続いた。
明治以降、人はカネを得るために森を伐採した。また、さまざまな動機から森を伐って道路や建物を建設した。
森が将来どうなるかということは、この際、考慮されなかった。
このことによって、動物の住むスペースが激しく限定された。
一方、森の生態系に決定的な役割を果たしていたニホンオオカミが、人間によって絶滅させられ、著しいアンバランスが生じた。
他の要因もあるが、シカ・カモシカ・サル・イノシシについては、過疎化(それは過密化の裏面にすぎない)の進行に伴って個体数が激増しており、獣害が激発している以上に深刻な問題(例えば個体数の激増に伴う一斉餓死)が発生する可能性がある。
日本の自然をバランスのとれた元の状態に戻すには、過疎を解消する(これは政治によって容易にできることだ)とともに、オオカミの復活が無理である以上、人為的なコントロールによって動物の個体数を調整する以外にはない。
この本には、ムササビが滑空している写真がのっているが、ムササビについての記述は多くない。
たいへん迷惑な動物なので、ムササビについてもっと詳しく知りたい。